日本の伝統文化、茶道の歴史とは?茶の起源から解説します

茶道には、おもてなしのこころや茶道具の美しさのほか、礼儀作法など多くの日本らしい伝統的要素があり、日本文化の良さを知る上で習い事としても、国内外から近年さらに注目を集めています。 この記事では茶の起源からさかのぼって茶道の歴史について解説し、茶道の持つ奥深さについてご紹介していきましょう。

1. 茶の起源

茶の起源

茶道の歴史を知る前に、茶道で喫する「茶」について、その起源を確認していきましょう。 人類の歴史上、茶に関して、最も古いと考えられている記述は古代中国の『神話』にあります。このことから、茶が発見されたのは紀元前2700年前頃だと推測されるでしょう。この当時の茶は今のように飲むものではなく、薬として食べられていたと考えられています。 現在のように、飲み物としての茶に関する文献で世界最古とされているものは、中国漢王朝時代の約2,000年前の契約文章である『「戯文」僮約』です。『「戯文」僮約』の記述内容から考えると、当時、奴隷を使う立場にあった人々は日常で茶を飲んでいたようです。また、同書によると、茶を飲む習慣は今でいう四川省あたり、中国の西南部で生まれたことがわかります。 茶が採れる茶の木の発祥地については諸説ありますが、唐の時代に書かれた『「茶書」茶経』には、「茶は南方の嘉木なり」とあります。紀元前に現在の雲南省西南部あたり、中国の西南部で初めて茶の木が発見された、とする説が有力視されているのです。

2. 茶道の歴史

では、そんな「茶」が日本に入ってきてから、どのようにして「茶道」へと発展していったのか、詳しく見ていきましょう。

2-1.日本への茶の流入

茶が日本に入ってきたのは平安時代だと言われています。 最澄や空海らが遣唐使として唐に渡り、日本に帰ってくる際に茶を持って帰って来ました。それが、日本に初めてやってきた茶だとされています。平安初期の『日本後紀』には、唐から来た僧の永忠が嵯峨天皇に近江梵釈寺でお茶を奉った」と書かれています。そして、この『日本後紀』が日本にある最古のお茶に関する記述だとされているのです。 この時の茶は、唐で当時飲まれていた「団茶」という団子状にまるめられたものでした。今で言うと烏龍茶のような半発酵茶だったと考えられます。そのため、茶の色は抹茶のような緑ではなく、ブラウン、つまり茶色だったことから現在の「茶色」は緑を表す色ではないのです。

2-2.茶を飲む習慣が広まったのは鎌倉時代

その後、臨済宗の開祖である栄西も鎌倉時代に宋の茶を持ち帰り、『喫茶養生記』という、日本最古とされる茶の本を記しました。喫茶と喫桑について書かれた同書は当時医学書として扱われ、その頃の茶は現在のように嗜好品ではなく、薬や儀式の際に飲むものとして認識されていたことがうかがえます。ちなみに、栄西が持ち帰った茶は団茶ではなく、「碾茶」や「挽茶」と言われる粉末状の茶だったようです。 現在のように嗜好品として茶を飲む習慣は近畿地方から広まっていきました。栄西から禅を学んだ明恵が栄西から譲り受けた茶を栽培し、宇治茶の基礎を作りました。明恵の茶は伊勢や駿河、武蔵などに伝わり、現在までそれらの土地は茶の名産地として知られています。 鎌倉時代の末期には喫茶を楽しむ「茶寄合」や茶の飲み分けを競う博打、「闘茶」が武士階級の間にも盛んになりました。

2-3.茶会の文化ができた室町時代

14世紀から16世紀まで続いた室町時代には、鎌倉時代に寺院で持たれていた茶の習慣と武家社会の薬用や娯楽としての茶の文化が庶民にまで伝わり、茶寄合や闘茶、茶の移動販売である「一服一銭」として民衆社会に広まりました。 また、室町時代初期に開花した北山文化の影響により、将軍や大名たちのあいだに、現在にまで続く茶会につながる文化が生まれます。この時代の将軍や大名は「会所」という喫茶の場を作り、絵画や墨蹟、茶道具などを飾り付け、鑑賞しながら茶を飲んでいました。 室町時代が中期に入ると、東山文化が興ります。東山文化は、禅の精神を元にした簡素さと恋歌から発達した「幽玄」と「詫」の美意識が基調です。東山文化が流行すると、茶会に使われていた会所に「書院」がとって変わりました。書院は能や連歌を楽しむ場でした。書院が使われるようになった茶会には作法が導入されるようになり、現在の茶道に大きな影響を与えたのです。 室町時代8代将軍足利義政は東山文化の中、禅僧らと書院で茶の湯を楽しみ、交流を持っていました。

2-4.茶道の誕生

茶祖と呼ばれる僧で茶人の村田珠光は1436年に生まれました。そして、能阿弥の紹介で足利義政とつながりを持ったとされています。珠光は唐物だけではなく和物と呼ばれる日本生の道具も使う「草庵茶の湯」を考案しました。珠光は四畳半の茶室も造り、精神的な茶の世界を創り出したのです。 そのような珠光の精神を受け継いだのは、16世紀の堺の豪商で茶人の武野紹鴎です。紹鴎は珠光の作った茶の世界を完成させ、道にまで昇華させました。そして、紹鴎の弟子である千利休が独自に発展させた作法があります。その作法が、師匠の築いたわび茶道にさらに哲学性や審美性を加え、無駄なものを省いた茶室や茶道具です。 「茶道」という言葉が生まれたのは江戸幕府の時代です。茶道は幕府の儀礼に正式採用され、武士の嗜みとして当然のものになりました。

3. まとめ

まとめ

茶道の歴史について解説しました。茶道の歴史を知ったうえで取り組んでみると、より茶道の奥深さに気づけるのではないでしょうか。 「百華の会」は東京、銀座にある茶道教室です。初心者から上級者まで、どなたでも歓迎しております。日々研鑽を重ね、東京オリンピック招致にも使われたことばでもある、「おもてなし」の心を持ってみなさまをいつでもお待ちしております。